それでは早速レビューへと参りましょう。
パッケージ
付属品一覧
割愛
戦艦大和
艦隊決戦の切り札として、呉海軍工廠で極秘建造されました。
まず、艦NEXTって何だよ(哲学)
艦NEXTシリーズは、フジミ模型が展開している艦船模型シリーズで、ガンプラ同様にマルチカラーインジェクション、スナップフィットを導入した画期的スケールモデルブランドである。
塗装・接着剤不要なので、スケモ初心者向けとなっているのが特徴。
また、一体成型パーツの多用により合わせ目処理の必要が殆ど必要とせず、スケールモデルならではの精密さも同時に兼ね合わせているのが特徴。
成形色もGSIクレオスから発売されている既存カラーを忠実に再現している。
艦橋
様々な艦船は、各々が特徴的な艦橋の形をしているが、キットでは大和の艦橋を破綻ないフォルムで立体化。
複雑な形状ながらリアルに造形されているものの、マイクロサイズのパーツも多く、ピンセットなしでは組み立ても困難。
砲塔
大和のトレードマークとも言える46cm砲は全て砲塔が回転可動。
さらに砲身は全て独立可動。
副砲は回転のみ。
銃座
船体に無数に装備された機銃は、全て別パーツ化。
高角砲は銃身まで分割される等、かなり細部までこだわった仕様。
しかしながら、数十個は同じものを作り続ける関係上、精神的苦痛な難所。
艦首
この時期の艦船では先進的なバルバスバウ。
キットでは一体成型パーツにより、無駄にパーツを分割することなく再現。
艦首甲板表面は、驚く程繊細なモールドが施されており、キャラクタ-モデルでは味わえない精密感がスケールモデルの強みと言える。
船体
他の戦艦クラスに比べてどっしりとした重厚感溢れる形状は大和ならでは。
木工甲板は木の板一枚一枚まで造形化され、艦船モデルならではの驚異的な情報量。
艦底
底は完全な平坦で、ディテール等も施されていないため、かなり簡素な状態。
喫水線から下の部分は着脱可能。
これにより、フルハルとウォーターラインを差し替えで再現出来、従来ではどちらかしか選べない仕様から大きく進化。
フルハル状態と異なり、ウォーターライン状態だとよりスマートな印象さえ与えるギャップを楽しめるのがこのシリーズのウリ。
推進機構
スクリュー軸やプロペラは全て別パーツ化&色分け済み。
一見簡単そうに見えるものの、力任せにはめ込もうとすると軸が壊れるわ・・・壊れちゃ~う!
後部甲板は水上機の発艦設備の他、クレーン等も精密に造形化。
甲板表面は極めて微細なディテールが施され、木工甲板と合わせてFUJIMIの高い造形力を伺う事が出来る部分。
サイズ比較
サイズは1/700スケールとは言え、全長は36cmを越えるロングサイズ。
同スケールの陽炎型と比べてもこのサイズ差。
アクション
ということで、『艦NEXT 大和』でした。
近年は未スナップフィット、加工・塗装必須と敷居がとにかく高いスケールモデルながら、タミヤを始め近年のメーカーの技術革新により、以前に比べて遥かに組み立てやすくなった印象。
特にスナップフィット化の恩恵は大きく、いちいちマスキングテープで仮止めしなくても勝手に形になってくれる上、マルチカラーインジェクションにより塗装のイメージもしやすくなったのは大きなメリット。
反面、ガンプラしか作った事がないユーザーから見れば、ピンセットを使うことすらままならず、おまけにバリも多少あるため難易度はやや高め。
とは言え、数十年前のものに比べれば製作難易度はかなりマイルドになっているため、スケールモデルデビューしたい人にとってはうってつけかと。
幸い、軍用機はガンダムのような架空の存在ではなく、現実に存在しているため観光も兼ねて視察に行ってみるのも一興。
スケールモデルによる実物を観察しての模型製作は、いずれガンプラのようなフィクションのものでも応用が利くはず。
特に2010年代からは、『艦これ』、『ガルパン』、『ストライクウィッチーズ』等の人気による反動でミリタリー分野へ視野を広げるユーザーも増えたため、何となくガンプラやキャラクタ-モデルに物足りなくなったモデラー兄貴達にオススメしたいと思うゾ。
最近はガンプラやブキヤ製品ばかりに焦点を当てる市場のやり方が気に食わないというのもありますが、スケールモデルの驚異的な進化・圧倒的な成長を実感して欲しいということもあり、本格的艦船モデルは初投稿です。
ただ、素組みではなく作例のような完成品を製作するとなると、天と地の差を痛感する鬼畜難易度にはなると思うけどな~俺もな~
ここでお詫びを。
自分でも執筆してて実感していましたが、やはり過剰に引き延ばし過ぎると書く方も読む方も拷問だって、はっきりわかんだね。
ということで、これからはレビューの規模を縮小し、もう少し手軽に読めるように編集していきます・・・動画製作までし始めた執筆者本人が今までのような無茶が出来ないので。
それでは皆さん。
楽しいホビーライフを。
登場人物紹介
戦艦レ級
気楽なお調子者。
アウトドア派で旅先での遊び癖の酷さと食い意地の汚さに定評がある。
ヲ級のことを『ヲっちゃん』と呼び、自他共に認める仲良し。
空母ヲ級
レ級の親友。
真面目で礼儀正しい性格だが、たまに毒を吐く。
性格は正反対ながら、意外にウマが合うらしい。
インドア派で読書やネットサーフィンが趣味ということもあり、知見が広い。
教えて! ヲッちゃん!
画像引用:Wikipedia
戦艦大和は、日本帝国海軍が総力を上げて作り上げた大和型戦艦の1番艦(二番艦は武蔵)である。
大和の艦名は奈良県の旧国名の大和国、あるいは日本の古称・別称・雅称に由来。
艦名は、明治・大正時代の海防艦/特務艦大和に続いて二代目。
艦名は海軍大臣を通して、天皇陛下がお決めになり、大和=日本国という願いを込めて命名された。
設計主任は造船大佐であった「福田啓二」が担当し、同氏への大和建造計画は極秘プロジェクトとして通達された。
福田 啓二
画像引用:Wikipedia
大和は、戦艦として史上最大の排水量と同時に46cm主砲3基9門を備え、防御面でも、指揮系統の集中する重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した画期的な戦艦であった。
この史上最大の46cm主砲は、最大射程距離41kmを誇り、敵艦隊の射程圏外から一方的に攻撃する他に類を見ない長距離砲撃を実現した。
設計はもちろん、ブロック工法の採用など施工においても、当時の日本が持てうる限りの最先端の造船技術を駆使している。
完成が数日差ながらすでに戦時中になっていたことや、さらに敗戦前後に設計図含め多くの記録が焼却処分されたためにその姿をとらえた現存写真は非常に少ない。
戦時下において、大和の存在自体は日本国民は知らされておらず、その存在を知ったのは終戦から4ヶ月後とも言われている。
大和建造は、当時は大日本帝国の最高機密にして、国家予算の4.4%である建造費1億4503万円(現在の価格換算で約3兆円)という莫大な巨費(※)が投じられた一大プロジェクトだったのである。
大和は日本の起死回生の切り札として太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役。
1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった(司令長官山本五十六大将)。
6月上旬のミッドウェー作戦が初陣となったが、ミッドウェー海戦だけでなく、太平洋戦域での敗戦は、そのことごとくが日本軍の情報漏洩が原因で大敗。
1943年(昭和18年)2月、司令部設備に改良が施された同型艦の武蔵がトラック島に進出し、武蔵に連合艦隊旗艦任務を移譲。
同年末、大和は輸送作戦中にアメリカの潜水艦の雷撃で小破。
修理・改装後、1944年(昭和19年)6月の渾作戦、マリアナ沖海戦に参加した。同年10月中旬以降の捷一号作戦で、アメリカ軍の護衛空母部隊(タフィー3)に対し46cm主砲砲撃を実施。
これが後のレイテ沖海戦である。
1945年(昭和20年)4月7日、天一号作戦において第二艦隊(第一航空戦隊)旗艦として麾下の第二水雷戦隊と共に沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈。
僅か5年の生涯に幕を閉じ、第二艦隊司令官「伊藤整一」中将ら約3,000名の乗員と運命を共にした。
生存者は100名にも満たなった。
この時、大和は多数の急降下爆撃に加えて、魚雷十数本もの直撃弾を受けながらも、戦闘を続行しており、そのあまりの頑強さに米軍は驚愕したのは有名な話だ。
これこそ、大和の浮沈艦伝説を如実に体現していた光景だった。
大和の舷側装甲の厚さは410mm、水平装甲の厚さは200~230mmにも達し、同クラスの艦艇に限定すればアイオワ級の舷側装甲の厚さは307mm、水平装甲の厚さは153~159mmすら上回る。
また、潜水艦の注排水技術を転用した姿勢制御システムと相まって、魚雷攻撃による多少の浸水程度では傾斜復元が可能であり、如何に大和の防御機構とダメージコントロール機能が優れていたことが分かる。
参考資料:THE 歴史列伝
そのため、米軍は大和への通常攻撃では撃沈が不可能と判断し、左舷に雷撃を集中させて大和の姿勢制御システムそのものを奪う巧妙な戦術に切り替える。
その結果、ダメージコントロールが限界を迎えた大和は左右の平行バランスを失い、左周りに半回転しながら転覆。
その後、火薬庫への引火により大爆発を起こして爆沈してしまう。
参考資料:男たちの大和
如何に最新鋭の超弩級戦艦と言えど、時代の流れには逆らえず、既に大艦巨砲主義が当の昔に終焉を迎えていたことを物語っていた姿だったと生存者・関係者は語る。
一般的に、超弩級戦艦でも魚雷が数本当たれば撃沈されるとされ、姉妹艦である武蔵は魚雷20本、急降下爆撃17発を受けて沈没するなど、改めて大和型戦艦の強靭さ世界に知らしめた。
一方、アメリカ合衆国は真珠湾攻撃の苦い経験から、航空機の有用性を改めて重要視し、艦載搭載航空機の大量生産による物量戦及び、『B-29』を主力とした戦略爆撃機による敵地爆撃・航空決戦へと移行していた。
こうした背景には、第二次世界大戦において既に時代遅れと化した艦隊決戦思想から脱却し、戦後の来るべき対ソ連戦を想定した次世代戦略爆撃機の開発に注力していたことからも分かる。
また、開戦時において、日本の真珠湾攻撃にて航空機による奇襲攻撃で、パールハーバー海軍基地が甚大な被害を受けた苦い経験を忘れなかったからであるのは言うまでもない。
結果的に日本軍は、この真珠湾攻撃で航空攻撃による優位性を自ら敵に教えてしまうこととなり、その戦術を逆に利用されて敗北したという事実は何とも皮肉なことである。
当時、誰もが日本が圧勝すると予測されたミッドウェー海戦において敗北した事実は、アメリカ合衆国の工業力を侮っただけでなく、艦隊決戦思想という妄執に憑りつかれ、敵の戦略を十分に研究していなかったのだから必然的である。
ミッドウェー海戦はおろか開戦時において、既に米軍に対して航空兵力の圧倒的劣勢は否めず、日本の敗戦はより濃厚となった。
また、ミッドウェー海戦前は空の要塞の異名を持つ超長距離爆撃機『B-29』による予想外の本土空襲に加えて、大本営によるプロパガンダで連戦連勝を信じ込んでいた国民が形成した狂信的な世論に押された結果、功を焦って墓穴を掘ったのも原因の一つともなった。
同時に、アメリカの軍人兼学者でもある『アルフレッド・セイヤー・マハン』による、マハン理論では強大な海軍国と陸軍国は並立しないとされており、マハン理論を推す海軍と、ハウスホーファー理論を推す陸軍の対立と確執が命取りにとなり、敗戦へ突き進む要因も一つでもあった。
今次大戦において、大和は大きな戦果こそ挙げられなかったものの、史上類を見ない巨大戦艦の建造技術とその実現は、現代の護衛艦だけでなく、商船にも受け継がれ戦後の造船技術躍進に大きく貢献。
さらに、後世日本を世界屈指の造船・海運国へと押し上げ、現在に至る。
地球上で最も巨大な船舶として名高い『ノック・ネヴィス(ノルウェー船籍の石油タンカー。全長458.45m、全幅68.8m、564,763重量トン)』も日本の造船技術なくして誕生しなかったと言える。
引用:Wikipedia
現在、日本最大手の海運会社である日本郵船、商船三井、川崎汽船と共に海運業界で栄えており、日本が海運王国と呼ばれる礎を築き上げた熾烈な建艦競争で得た建造技術は戦後77年経過した今なお生きているのである。
【SPEC】
建造所 | 呉海軍工廠 |
---|---|
運用者 | 大日本帝国海軍 |
級名 | 大和型戦艦 |
建造費 | 約137,802,000円 (1936年3月 艦政本部試算) |
艦歴 | |
計画 | 第三次海軍軍備補充計画 |
起工 | 1937年11月4日 |
進水 | 1940年8月8日 |
就役 | 1941年12月16日 |
最期 | 1945年4月7日沈没 |
除籍 | 1945年8月31日[1] |
要目 | |
排水量 | 64,000トン(基準) 69,000トン(公試) 72,809トン(満載) |
全長 | 263.0m |
水線長 | 256.0m |
幅 | 38.9m |
吃水 | 10.4m |
ボイラー | ロ号艦本式缶12缶 |
主機 | 艦本式タービン4基4軸 |
出力 | 153,553馬力 |
最大速力 | 27.46ノット(公試成績) |
航続距離 | 16ノットで7,200海里(13,334km) |
乗員 | 竣工時:2,500名 最終時:3,332名 |
兵装 | 新造時 45口径九四式46cm3連装砲塔:3基 60口径三年式15.5cm3連装砲塔:4基 40口径12.7cm連装高角砲:6基 25mm3連装機銃:8基 13mm連装機銃:2基最終時 45口径46cm3連装砲塔:3基 60口径15.5cm3連装砲塔:2基 40口径12.7cm連装高角砲:12基 25mm3連装機銃:52基 25mm単装機銃:6基 13mm連装機銃:2基 |
装甲 | 舷側 410mm+15mm(傾斜20度) 対水雷防御隔壁 205mm~75mm 最上甲板 35mm~50mm 主甲板 200mm〜230mm 合計甲板装甲 250mm バルクヘッド 340mm~300mm 主砲防盾 660mm 主砲側面 250mm 主砲後面 190mm 主砲天板 270mm 主砲バーベット 560mm~380mm 司令塔 500mm~380mm |
搭載機 | 5機(カタパルト2基) |
オススメ記事